埋没してるFTM

性同一性障害とか、おなべとか、世間ではそう言うみたいです。世間に隠れたぼくの話。

実はFTMであるぼくのこと。|幼少期

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0~6歳

ぼくは東京の田舎に生まれました。
一人っ子の箱入りなんとかです。

当時は両親の仲が悪く、別居をしていまして。
6歳までは母方の祖母の家で生活していました。 おかげですっかりおばあちゃんっ子です。

保育園に通っていました。

一番古い記憶はお泊まり保育の日、せんせいが大きなタライの中でじゃぶじゃぶ体を洗ってくれたことです。なんでこんな記憶なんですかね。お泊まりがたのしかったのかな?

年中さんの頃、はまっていた遊びがありました。
せんせいのブラジャーのホックをTシャツの上から外すことです。

性的な意味は特になく、反応が面白くてしてたんだと思うんですけど。
大きくなって自分史を書くとき、あれっ?と思った記憶でした。

年長さんあたりからはしっかり人間してましたね。

当時の性自認は女の子でした。
というか今まで「おれは本当は男なんだー!」みたいな感情ありません。

自分はいま、女の子だ。だってそうだし。
みたいな感じ。

この頃になると周りがちゃんと女の子になっていました。
カップルみたいな子たちもちらほらいたり。

ぼくも好きな男の子がいました。
お昼寝の時間になると、布団の中でちゅーしちゃったり。(可愛すぎる。)

でもその子、ぼくの一番仲良しの女の子とも同じことしてたんです。
みんな知ってたし、面白がってた。
幼児さんの感情って不思議だなあ。

4月生まれだったぼくは常に身長が一番大きかったです。
それから態度も。
よく友だちに手を上げて怖がられていたような気がします。

好きなものはポケモンと折り紙
折り紙のせんせいになることが夢でした。

手先がとても器用で、何をしても褒められてました。
小さいながらに「自分ってすごい!」って思ってましたね。

でも、自分の予定を把握してないことを、いつもお母さんに怒られてたなあ。
(今日はピアノの日、とかね。)

ぼくのお母さんはとてもぼくを愛してくれていて、
だけどフリフリな女の子になって欲しかったみたいです。

なんでも言いなりになってたけれど、
スカートを履くことは泣いて拒否したんだよなあ。

女の子とか関係なしに、なんかスカートは履きたくなかったんです。

いまでもあの時の泣いて苦しかったこととか、
お母さんの怒ってる顔とか思い出すと、胸がぎゅーっとなる感じ。

それからお母さんはぼくを私立の小学校にお受験させました。
あそびみたいな塾にも通ったりして。

幼児さんとしては出来の良かったぼくは、受験した3つの小学校全てに合格し、高校までのエスカレーターが約束されたのでした。

保育園のみんなは近所の小学校に行くことを知って、とても寂しかったのを覚えてます。
でも、「私立ってすごいんだぞ!」って気持ちもあったような。

そんな幼少期。